邂逅/そして再びあの頃の自分と

GRAPE IRIS
D−DAY 1986

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再発に寄せて
 そのころ、僕(たち)はもてなかった。だからと言うわけではないが、たくさんの音楽を聴いた。それは80年代もなかばの話で、そのときはまだ音楽は僕たちと一緒にあった。それはそれで、幸せな時代だったと思う。

 今でももてないけれど、音楽は僕(たち)にもう寄り添ってはくれない。ほとんどの音楽がすり寄っていくのはお金かもしれない。そんな時代に、まるであの頃どこかに埋めた宝物が突然引き出しの中から見つかったように、D−DAYの音楽が再び聞こえてくるのは、とても嬉しいことであるし、それは決してノスタルジーだけで説明のできる感情ではないようだ。

 70年代の後半から80年代にかけて、多種多様な音楽が生み出された。何でもアリと言ってしまえばそれまでなのだが、経歴も目的も音楽的な土壌も全く違う人たちが、音を作り始めた。たとえばフォーククルセイダースなんかのような記念盤的なアルバムでも、頭脳警察のような発禁盤を復活させるためでもなく、自由に音楽を作って、自由に再生するために、たくさんの自主制作盤が作られた。もちろん、ほとんどの人たちが「自由に」という気負いすらもっていなかったかもしれないし、反対に新しい音楽を作るんだという明確な目標を掲げていた人たちもいただろう。

 本当にD−DAYもそんななかにいた、のだろうか。今となってはそれすら自信がない。むしろ攻撃的で暴力的なパンクや、退廃的でエキセントリックなニューウェーブが中心のうねりの中で、D−DAYの音楽はあまりにもひ弱に見えてしまった。美子が垣間見せる世界は、彼女自身のとても個人的な世界に見えてしまって、僕(たち)はドギマギしなから、少し後ろめたい気持ちでその歌声を受け入れていたのだ。幾分頼りなげで不安定なその歌声の後ろで、やはり音数も少なく淡いトーンの演奏が淡々と、時に揺らぎながら紡ぎだされてゆく。

 その歌を、僕(たち)は渇いた喉を潤す薄荷水のように、目をつぶって飲み干した。音楽的にはどちらかと言えばオーソドックスな部類に入るであろうその歌は、しかし普遍性をもっているとは思えない。なぜならばD−DAYの歌が美子の声に、歌に、つぶやきになるとき、歌は「彼女のきわめて個人的な世界」に変貌してしまうのだから。
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 D−DAYの音楽のもつリアリティは、ほかのどのバンドの音とも違うベクトルをもっていた。そのころの音楽はいつでも力づくで僕たちの生活に意識に日常に入り込んできたし、僕(たち)もそれを望んでいたはずだ。その一方で、僕(たち)がD−DAYの歌から感じとったことが現実かどうかなんでどうでもいいことで、僕(たち)はD−DAYの世界に引きずり込まれたかったのだ。よくも悪くもそれがD−DAYの特異性であり、凡百のバンドとの差なのであろう。今でもその音を確かめたい人たちがいるということが、すべてを表している。

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by bow1965 | 2006-05-17 20:18 | 〜80年代 日本のロック
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