震える音粒子につつまれて、深淵に下る

Andre Sulla Luna
Arturo Stalteri 1979

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 このアルバムはプログレという音楽ジャンルにくくられるのが常である。しかしながら、極めて現代音楽よりであるため、一般にプログレファンからは人気が薄い。そのうえ、音づくりが表面的にはポップでカラフルであるため、もちろん現代音楽ファンからは無視されている。正当に評価されていない音楽はそれほど珍しくはないが、これはOpus Avantraとともにその筆頭である。

 これを書くにあたって、クレジットを見て驚いた。1979年に作られたアルバムだった。70年代半ば頃には作られていたと思っていた。彼の参加していたバンドPierrot Lunaireのデビューアルバムの発表が1974年、傑作セカンドアルバムGUDRUNが1977年だから、プログレとしては比較的後発になるのだろう。1979年と言えばBancoなら春の歌、PFMならパスパルトゥのころだ。つまり、ほとんどすべてのベテランプログレバンド勢が失速し、プログレ不毛時代のはじまったまさにそのの瞬間である。

 音楽的には、キーボードや電子ピアノといった鍵盤楽器によるシーケンスが緩急をつけながら積み重なっていく感じである。しかしながら、たとえばドイツやフランスの浮遊感をともなうそれとは違って、めまぐるしく変化しながらキラキラと音が反射していく感じがする。言ってみれば万華鏡をのぞくような、あるいは、複雑に絡んだアラベスクが流れていくような感じと言えば良いのだろうか。万華鏡もアラベスクも極めて人工的なものであり、同様にこの音楽も人工的に作られた匂いがする。そして音の粒の一つ一つが痙攣しているかのようである。それゆえ、リラックスしたり自然にリズムに乗ったりすることの出来る音楽ではないが、何かもっと強力な合成麻薬的な攻撃的な引き込み方をする。そして、突然はしごを外されたかのような、一瞬の静寂が不安を掻き立てる。

 「月の上のアンドレ」という童話めいたストーリーにそって音楽が展開するトータルアルバムであるが、騙されては行けない。全体を覆う緊張感と奇妙な切迫感から、時折解放してくれるなにげない優しい旋律の奥にこそ、深淵が見え隠れするのはArturoの非凡さ故であろう。もともと彼の参加していたバンド名からもわかるように、彼はシリアスミュージックよりの人である。このアルバム発表後しばらく沈黙の後、インドのラーガを用いたミニマルミュージック的なアルバムを発表している。そこにはこのアルバムで見せたような攻撃性はもはや無く、彼の自己深化の結果生み出された、たおやかな旋律が織りなされている。

 ポップミュージックとシリアスミュージック、ロックと現代音楽の接点などと言った表現に対する皮相的な見方ではなく、こういった美を生み出した精神を評価していただきたい。
 
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by bow1965 | 2006-05-20 17:29 | 〜80年代 欧州のロック
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