沈み行く先にあるものは

あおいあしおと
ゑでぃまあこん 2005
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 こういった文章を書き連ねていると、音を文字で伝えることに対するもどかしさというのが常につきまとうのであるが、今回は特にそう感じてしまう。いったい、この音楽について、言葉にすることにどれだけ意味があるのだろう。
 たとえば、日本でいや世界でもトップクラスのアッシド・フォークであるとか、頼りなげで夢見心地な浮遊感につつまれるとか言ってみたところで、肝心の音を聞かないのではどうしようもない。音を聞いたところで、特に何も感じない人もいるだろう。

 いったい、どうして僕はゑでぃまあこんの音に魅せられるのだろう。たくさんのレコードやCDを聴いて、その中にはとても気に入ったものもあるし、それこそはまり込んでその1枚だけをしばらく聴きつづけることだって、珍しくない。でも、ゑでぃまあこんは少し事情が違う。

 もともと気分に合わせて音楽を選んだり、音楽で気分を変えたりすることはほとんどない。まあ、マグマを聴けば元気になるし、落ち着きたいときにドゥルッティ・コラムを聴くことはあるけれど、その逆のパターンもあるので、「こういう気分のときはこの音楽を聞く」とか「この音楽を聴くとこういう気分になる」という絶対的な音楽というのは、ほとんどない。あえて言えば頭脳警察誕生ぐらいかもしれない。

 そんな中で、ゑでぃまあこんは少し事情が違う。けしてヘヴィ・ローテーションなCDではない。しかしながら、その歌声、そのメロディ、その空気があたりを満たすと、他の何も必要でなくなってしまう。それだけあれば良い。どこまでもどこまでも一緒に沈んでいきたい。それだけ聴きながら、何もせずに、何も考えずに、一生を過ごしたいと思ってしまえるほど、その音は儚く優しい。ゑでぃまあこんの音楽につつまれて、僕は駄目になってしまいたい。
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by bow1965 | 2006-07-06 21:40 | その他の音楽
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