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うかばれない魂たちのために

PLAGUE MASS
Diamanda Galas 1991
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もはやこのジャケット写真だけでNGという方も少なくないと思いますが、現時点で女性のヴォイス・パフォーマーの最高峰の方だと思います。御歳はもうすぐ60歳。

 これはニューヨークの聖ヨハネ大聖堂におけるライブ録音です。もともとパフォーマンスの性格上、記録にとどめることが録音技術的に困難であったため、彼女の活動はほとんど媒体にのることがありませんでした。しかし80年代の後半から、デジタル録音技術の格段の進歩にともない、次第に彼女の表現も記録にとどめられることとなってきました。これはある意味その集大成のライブです。

 大聖堂のなか、重くメタリックなパーカッションとうごめくシンセサイザーにのせて、彼女の声が響きます。時にはオペラティックに叫び、あるいは呻き、朗々と語りかけます。いわゆる「怪鳥音」にちかいパフォーマンスも。

 このライブは、HIV陽性者およびエイズ患者、つまり日常生活に於いて、救急医療体制の欠如はたなにあげ、一番辛い敵意に満ちた環境、むかつくような哀れみと、生きようと努力しても無駄だと、はなから彼らの葬式を期待して患者にウソまでついて説得する環境、常に試され、取材され隔離され、じわじわと拷問され、死または大量殺戮のことのみ考えさせる環境の中で戦っている人々に捧げられています。

 彼女は弱者の代弁者であり、形骸化した宗教者や権威者への批判者でもあります。もちろん、その過激なパフォーマンス故、宗教関係者や政治関係者からの批判も少なくなく治安紊乱行為・宗教儀式混乱罪で逮捕されたこともあります。

 彼女は大聖堂の中で、燭台の明かりに照らされながら、半裸で全身血糊にまみれ、二本のマイクを手に歩き回り、這いずり回り、思うがままに振る舞います。プリセットされた音楽は不吉な緊張感と切迫感を煽り、そのパフォーマンスは悪魔的とさえ形容されています。彼女は常に差別されたものや弱者とともに、地の底で呻吟しているのです。祭壇につばを吐きかけるように絶叫し、偽善者を高みから引きずりおろすために呻く。そして彼女が一貫して求めるものは苦悩からの解放であり、抑圧からの解放なのかもしれません。
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最近の彼女は、こんな感じらしいです。
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私が聴き始めた頃はこんな感じでした。
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かつては、こんな感じだった??
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by bow1965 | 2006-05-28 15:43 | その他の音楽

震える音粒子につつまれて、深淵に下る

Andre Sulla Luna
Arturo Stalteri 1979

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 このアルバムはプログレという音楽ジャンルにくくられるのが常である。しかしながら、極めて現代音楽よりであるため、一般にプログレファンからは人気が薄い。そのうえ、音づくりが表面的にはポップでカラフルであるため、もちろん現代音楽ファンからは無視されている。正当に評価されていない音楽はそれほど珍しくはないが、これはOpus Avantraとともにその筆頭である。

 これを書くにあたって、クレジットを見て驚いた。1979年に作られたアルバムだった。70年代半ば頃には作られていたと思っていた。彼の参加していたバンドPierrot Lunaireのデビューアルバムの発表が1974年、傑作セカンドアルバムGUDRUNが1977年だから、プログレとしては比較的後発になるのだろう。1979年と言えばBancoなら春の歌、PFMならパスパルトゥのころだ。つまり、ほとんどすべてのベテランプログレバンド勢が失速し、プログレ不毛時代のはじまったまさにそのの瞬間である。

 音楽的には、キーボードや電子ピアノといった鍵盤楽器によるシーケンスが緩急をつけながら積み重なっていく感じである。しかしながら、たとえばドイツやフランスの浮遊感をともなうそれとは違って、めまぐるしく変化しながらキラキラと音が反射していく感じがする。言ってみれば万華鏡をのぞくような、あるいは、複雑に絡んだアラベスクが流れていくような感じと言えば良いのだろうか。万華鏡もアラベスクも極めて人工的なものであり、同様にこの音楽も人工的に作られた匂いがする。そして音の粒の一つ一つが痙攣しているかのようである。それゆえ、リラックスしたり自然にリズムに乗ったりすることの出来る音楽ではないが、何かもっと強力な合成麻薬的な攻撃的な引き込み方をする。そして、突然はしごを外されたかのような、一瞬の静寂が不安を掻き立てる。

 「月の上のアンドレ」という童話めいたストーリーにそって音楽が展開するトータルアルバムであるが、騙されては行けない。全体を覆う緊張感と奇妙な切迫感から、時折解放してくれるなにげない優しい旋律の奥にこそ、深淵が見え隠れするのはArturoの非凡さ故であろう。もともと彼の参加していたバンド名からもわかるように、彼はシリアスミュージックよりの人である。このアルバム発表後しばらく沈黙の後、インドのラーガを用いたミニマルミュージック的なアルバムを発表している。そこにはこのアルバムで見せたような攻撃性はもはや無く、彼の自己深化の結果生み出された、たおやかな旋律が織りなされている。

 ポップミュージックとシリアスミュージック、ロックと現代音楽の接点などと言った表現に対する皮相的な見方ではなく、こういった美を生み出した精神を評価していただきたい。
 
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by bow1965 | 2006-05-20 17:29 | 〜80年代 欧州のロック

邂逅/そして再びあの頃の自分と

GRAPE IRIS
D−DAY 1986

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再発に寄せて
 そのころ、僕(たち)はもてなかった。だからと言うわけではないが、たくさんの音楽を聴いた。それは80年代もなかばの話で、そのときはまだ音楽は僕たちと一緒にあった。それはそれで、幸せな時代だったと思う。

 今でももてないけれど、音楽は僕(たち)にもう寄り添ってはくれない。ほとんどの音楽がすり寄っていくのはお金かもしれない。そんな時代に、まるであの頃どこかに埋めた宝物が突然引き出しの中から見つかったように、D−DAYの音楽が再び聞こえてくるのは、とても嬉しいことであるし、それは決してノスタルジーだけで説明のできる感情ではないようだ。

 70年代の後半から80年代にかけて、多種多様な音楽が生み出された。何でもアリと言ってしまえばそれまでなのだが、経歴も目的も音楽的な土壌も全く違う人たちが、音を作り始めた。たとえばフォーククルセイダースなんかのような記念盤的なアルバムでも、頭脳警察のような発禁盤を復活させるためでもなく、自由に音楽を作って、自由に再生するために、たくさんの自主制作盤が作られた。もちろん、ほとんどの人たちが「自由に」という気負いすらもっていなかったかもしれないし、反対に新しい音楽を作るんだという明確な目標を掲げていた人たちもいただろう。

 本当にD−DAYもそんななかにいた、のだろうか。今となってはそれすら自信がない。むしろ攻撃的で暴力的なパンクや、退廃的でエキセントリックなニューウェーブが中心のうねりの中で、D−DAYの音楽はあまりにもひ弱に見えてしまった。美子が垣間見せる世界は、彼女自身のとても個人的な世界に見えてしまって、僕(たち)はドギマギしなから、少し後ろめたい気持ちでその歌声を受け入れていたのだ。幾分頼りなげで不安定なその歌声の後ろで、やはり音数も少なく淡いトーンの演奏が淡々と、時に揺らぎながら紡ぎだされてゆく。

 その歌を、僕(たち)は渇いた喉を潤す薄荷水のように、目をつぶって飲み干した。音楽的にはどちらかと言えばオーソドックスな部類に入るであろうその歌は、しかし普遍性をもっているとは思えない。なぜならばD−DAYの歌が美子の声に、歌に、つぶやきになるとき、歌は「彼女のきわめて個人的な世界」に変貌してしまうのだから。
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 D−DAYの音楽のもつリアリティは、ほかのどのバンドの音とも違うベクトルをもっていた。そのころの音楽はいつでも力づくで僕たちの生活に意識に日常に入り込んできたし、僕(たち)もそれを望んでいたはずだ。その一方で、僕(たち)がD−DAYの歌から感じとったことが現実かどうかなんでどうでもいいことで、僕(たち)はD−DAYの世界に引きずり込まれたかったのだ。よくも悪くもそれがD−DAYの特異性であり、凡百のバンドとの差なのであろう。今でもその音を確かめたい人たちがいるということが、すべてを表している。

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by bow1965 | 2006-05-17 20:18 | 〜80年代 日本のロック

「男と女の狂騒曲」というセンス、あるいは昭和の大名盤

あまぐも
ちあきなおみ 1978

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 あんまりロックではないけれど、大好きな一枚です。このアルバム、ミッキー吉野のアレンジもいいし、ゴダイゴ(タケカワユキヒデを除く)が手堅いバッキングを披露しています。それ以上に良いのが岸本博のアレンジです。この人もゴダイゴ人脈のようです。

 ちあきなおみは喝采ばかりが取りざたされますが、船村徹と一緒に良い仕事をしており、矢切の渡しの初演は彼女です。もちろん船村は矢切の渡しについては彼女の歌唱が最も時分のイメージに合っていると述べています。

 彼女が表舞台から去って十数年が過ぎてしまいましたが、彼女の作品はそのほとんどが現在でも入手可能です。普通、表舞台から消えて十年もたっていれば旧譜はほとんどが廃盤になってしまうということを考えれば、いまだにボックスセットが売れ続けている彼女の人気の高さは驚異的なものと言っても良いでしょう。

 その魅力は、彼女の歌唱力の高さと、表現力の豊かさに他なりません。うたを極めようとして最後にはファドにたどり着いた彼女の歌唱力の確かさは言うまでもありませんし、その情念を歌わせたら、右に出るもののいない表現力もまた然りです。もちろん、ただただ濃い情念を垂れ流しにするだけでないのは言うまでもありません。

 このアルバムはそんな彼女の作品の中でも、もっとも情念が渦巻いているものではないでしょうか。このアルバムで、彼女は友川かずきと出会っています。ぶつかりあう二つの個性と個性、情念と情念は、むしろどろどろと溶けて渦巻き、聴いているほうが飲み込まれてしまいそうです。友川の担当したB面の1曲目は「普通じゃない」、あんたら二人が普通じゃないやん!とつっこみを入れたくなるほど(w)

 アルバムの最後を飾る名曲夜へ急ぐ人は、かつて紅白歌合戦で大晦日のお茶の間に流れてきたことがあります。手招きしながら、誘うように歌われる、人の心の奥底を無理矢理のぞきこませるかのようなその歌。歌い終えたときに白組の司会者が「気持ち悪かったですね、次いきましょう」と言ったとか言わなかったとか。先日その時のうたをNHKの特番で見る機会がありました。いや、こういうものを公共の電波にのせては行けないと思いました。ほんとに。

 個人的な嗜好は抜きにしても、これは昭和を代表する大名盤だと思います。ただしA面とB面はまったく違います。A面は川島英五さんです。こっちもまぁ、情念は情念なんですが友川とはベクトルが正反対なので、気をつけてください。
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by bow1965 | 2006-05-15 21:57 | 〜80年代 日本のロック

初めまして!

Silent Corner And The Empty Stage
Peter Hammill 1974

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 ここは私の好きな音楽を、思い入れたっぷりに紹介するページです。 さて、第1回は非常に迷ったすえにこれにしました。

 今にして思えば、私が本格的に音楽に浸りだした80年代半ばは、私にとってもPeterにとっても不遇の時代でした(笑)その頃のピーターはコンスタントに新譜を発表していたにもかかわらず、旧譜は次々と廃盤になってゆき、次第にアルバムすら制作が困難になってしまいました。彼はカセットを通販しつつ、一節によればマリリオンの前座をつとめていたとか・・・

 そして、私は後追いで彼のアルバムを揃えようとしていたのですが、そこに立ちはだかっていたのは廃盤についてまわるプレミアの壁!!このアルバムは制作時期が早く、かつ非常に完成度が高い内容であったため、彼のアルバムの中で高いプレミアが付けられていたものの一つです。

 さて、内容はと言えば、迫り来る低音、雪崩のようなリズム隊、うねるホーン、そしてピーターの絶叫(笑)その内省と激情の入り交じった音塊は、ほとばしるようにエントロピーを増大させていきます。決して技巧派とはいえないながらくせ者揃いのメンバーが産み出す音圧は、からみあいながらきわめて複雑に展開していきます。

 70年代の彼の音楽は常に完成度が高く、極めて複雑で難解であると言われています。そしてライブステージでは、彼の絶叫が曲の完成度を上回るエントロピーで、すべてを押し流してしまいます。99%完成しているものをたった1%の激情で混沌にかえしてしまう激しさを彼は持っているのです。そして、恐ろしいことにバンドを解散した彼は80年代以降もなお、アコースティックギター一本の弾き語りでもって、バンド以上のエントロピーを産み出し続けています。その発露を目の当たりにすることが出来た私は、好運だったと思います。

 余談ですが、これはピーターのソロアルバムであるにもかかわらず、そのバックをつとめるメンバーは、彼のバンドVan Der Graaf Generatorそのままのフォーマットです。もっとも後年、バンドのほうのライブ盤の一曲目を飾るのは彼のソロアルバムからの曲であり、彼らにとってはソロとかバンドとかどうでも良かったのかもしれません。

 
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by bow1965 | 2006-05-11 21:29 | 〜80年代 英国のロック